
幸せな死に方?
どんな「亡くなり方」をしても「死は死」だと思っています
本人以外の方々が
お可哀想に
と言ってくださるような死も
大切な人たちに見守られての大往生も
正直な話
死は「同じ死」でしかないと個人的には思っています
意味づけは他者がすることではないでしょうか
死がわかると
私の父は数え年で100歳
亡くなった母とは異なり
深刻な認知症もなく
外出以外は誰の助けもなく家の中を歩き回れて
買い物や家事は家族に助けられながら暮らしています
トイレの失敗などはありますが
想定内です
癌で相当前にドクターに言われた「余命期間」をとうに過ぎていますが
なんというか
平常心で日常を生きています
死が分かっても
当たり前だと思う年齢なのかもしれません
死がわかると その2
私は60代半ば
いわゆる難病で
以前になった癌より五年生存率が低いことを知りました
好き放題のめちゃめちゃな「食生活」を送っていましたし
母の介護で自分の「体の不調」を後回しにしていましたし
なるほどなあと
ある意味納得しています
我が家には
病気と障がいもある子供もいますし
父を見送り
息子をできるだけサポートしてから
お迎えが来るといいなとは思っていますが
はたしてコントロールは???
ですよね
不老不死の人たち?
AIの勝手な進化のスピードとともに
不老不死の時代がくる???
そんな記事を以前に書きました
ここまでいかなくとも
我が家の夫は不老不死を目指していると思われます
本人は否定しても
はたから見るとそう見えます ^^
実際のところ見た目がかなり「若い」です
考え方も「若い」です
(子供じみているともいえますw)
そして
健康にいい「食生活」をストイックに進め
好きな「有酸素運動」だけではなく
苦手な「筋トレ」も確実に習慣としてこなしています
夫の母も「いい食事と体を動かすこと」で
90代半ばまでダンスをするほどの元気ものでしたから
遺伝子的にも「不老」は
かなりイケるのではないかと思っています
面白い記事
こちらです
そう
問題は「認知症」なんですよね
体は元気なのに認知症でままならない
このブログを始めた当初の大きな目標も
「認知症になっても幸せ」のつみかさねでした
母と長く暮らしましたので
本人のその「哀しみ」は見ていて酷でした
でも
ある時点からはあっという間に忘れてしまうことで
幸せも手に入れました
著者の先生は「歩くこと」を重視していらっしゃいます
「努力」を重視です
それは歩かないほうが楽ですし
寝そべっていたほうが、さらに楽です
でも
でも
起きます
歩きます
「ピンピンころり」
それほど元気ではないけれど
「ヨロヨロころり」
それくらいはイケるんじゃないかなあなんて
父娘のこれからを思っています
「自分のこと」だけだけれど
父も
私も
なんとかやっているのは
生きる力です
疲れるけれど
確実に生きているチカラです
ありがとうございます
どんな死に方も
死は死
それでも足掻くピンピンころりならぬ
ヨロヨロころり
(⌒-⌒; )
みなさまは
どんな死を想定なさっていますか?
こわいですか?
父も私も
怖さはありません
残念さはもちろんあります
大切な家族がいますからね
いい季節になりましたね
早朝
朝日に若葉がきらきらと輝いています
風が吹くとその「輝き」が大きく揺れています
楽園だなあと
それだけで思います
それでは
今日もいい一日をお過ごしくださいね♪