
歩くこと 生きること
歩くことは大切ですよね
歩くようにできているから
歩かないと弱ります
もちろん
障がいもある子の親ですから
歩けないとダメなんていう話をしているのではありません
歩ける状態ならば
歩くことがキツくても歩くといいね
そんな話です
父も100歳!?
さすがに
急激に腰が曲がってきました
歩くのもかなりキツそうです
だから
家の中以外で歩くとき「車椅子もだすよ」と毎回声をかけます
返事は決まって
「いちど車椅子に乗ったらもう歩かなくなるから」です
その根性
娘として学ばないわけにはいきません
毎日、帰り道は父娘で息も絶え絶えみたいな状況です
でもこれが
「生きる」ということなのかもしれませんよね
立つこと 生きること
父が私のもとに母とやってきた時
父はソファからよいしょと立ち上がれない人でした
つまり
目の前のテーブルに全部の体重をかけて
どっこらしょと、やっとのことで立つ状態でした
原因は
体がしんどいから車ばかり使い歩いていなかったこと
マンションのエレベーターを使い
母のように階段を使っていなかったこと
そんなところです
というのは私たちのもとで「リハビリ」を母と始めてからわかりました
運動をするようになって
めきめきと体が動くようになりました
80代90代にしてです
その変化は顕著で「ソファから支えなく立ち上がれる人」になりました
だからこそ
ベッドからも立ち上がってトイレに行く
ソファからも立ち上がってトイレに行く
もちろん「失敗」もありますから「紙パンツ」のお世話にもなっていますが
父の「尊厳」はそのへんから守られているような気がします
わたしも病気でいっきに運動能力もおちこみ
ほうっておいたら「寝たきりまっしぐら」なので
お父さんがやるなら
私もやるよの精神で
きつくても歩く、きつくても立つを続けています
起きること 生きること
諦める日は父にも私にも来るのでしょう
母の場合は
90代になっても「昼寝」というものをしたことのない人でしたから
亡くなる直前になって
自分から日中にベッドに行き横になっている様子に驚きました
よっぽど体がきついのだろうなあとは思っていました
それでも
父と同様にトイレには自分で行っていましたし
もちろん「失敗」は多かったですが
自分でなんとかやっているという「気持ち」は大きかったと思います
亡くなる前日に
その一週間前くらいでしょうか私が初めてベッド横に用意したポータブルトイレに
自分から座りました
本当のトイレまでとても歩いてはいけないと思ったのだと思います
そして
座ったまま動けなく、ベッドに戻れなくなりました
父が呼ぶので行ってみると
もう力が完全に抜けていて
人形のような母を私が全力でベッドに戻しました
立ち上がれなくなった「時」でした
ところが次の朝は
また普通にやってきました
認知症の母は何ごともなかったように家の中をうろうろしていました
そしてベッドに横になってもいました
その日の夜に
誰も気がつかないうちに逝ってしまいました
骨と皮みたいな母でしたが
まさか今日?!という
そんな逝き方でした
ありがとうございます
こればっかりは「努力」「根性」なんていう
昭和のかけ声で乗り切れる話ではないですよね
それぞれの人の状態も全く異なります
それでも
父も私も
母がそうであったように「ふつうに逝きたい」と思っています
あっけないくらいの別れでしたが
母にとっては本人の60代からの「延命お断り」の願いがかなった逝き方でした
頑固なまでに「一切の延命処置」を拒んだひとでした
それで90歳を超えても生きていたのですから
これも運命ですよね
母がよく話していました
「母さんがね、次こそは男の子を!と
たくさん栄養をとって生んだのが私だったから
私はからだが強いのよ
また女の子で残念だったでしょうねえ
うふふふふ」
寝たきりが悪いとか
延命が悪いなんていう話ではないんですよ
あくまでも「自分の願い、希望」の話です
父もそうであったらいいね
私もそうだったらいいなあ
そんなそれぞれの持つ「叶うかどうかなんてわからない話」でした
でも
昭和の父娘ですから
努力だけはします
きょうもふたりで
ハアハアと息を切らしながら歩きます
転んだら骨折してもうお終いかもしれませんが
それはふたりとも了解の「自己責任」なんです
生きているんだなあ、私たち!
感謝だなあ!
みなさまにも何か「願い」はありますでしょうか
お互いに叶うといいですね
それでは
どうぞ今日も
いい一日をお過ごしくださいね♪