Badgeとジョージ・ハリスンの姿
今回の2025年エリック・クラプトン来日ライブの前に思いました
「クラプトンを聴きに行くけれど
その横にジョージの姿が見えるような気がする」
ジョージのファンですから
クラプトンの「バッジ」を聴きつつジョージの姿も見えたような気がしたら幸せですよね
ワンダフル・トゥナイトとパティ・ボイドの姿
この曲を聴くとき、どうしてもパティのイメージが浮かんでしまいますよね
Golden Ring とエリック、ジョージ、パティの3人の関係
3人のことを歌ったのだと本人が自伝で言ったのですから、そうなのでしょう
複雑な関係
過去の3人の姿ですね
Old Love 別れた人の姿
もうそのものズバリの曲で辛いです
歌詞が分かるとつらい
The Call 若い日々と思い出
ともに過ごした人たちとの思い出
遠い思い出
近くに来たなら
もいちど会ってもいいよ
そんな切なく優しい思い
歳を重ねたからこそですよね
ベースのネイザンもクラプトンとジョージとともに
コチラの記事でした
ジョージとクラプトンの来日公演の1991年
その時もネイザンは一緒だったのですね
ビートルズを思わせるほどのたくさんの観客
そのステージにならんだのは
エリッククラプトン、ジョージ・ハリスン、
そしてネイザン・イーストもだったのですね
クラプトンの「思い出」が積み重なるようなライブ
最初の記事で「ジョージの姿も見えるような気がする」と言ったのは
「Badge」と「While My Guitar Gentry Weeps」が演奏された場合の話でした
ところが
今回の2025年武道館ライブには
なんと「思い出」を歌う曲が並びました
- バッジ
- ワンダフル・トゥナイト
- ゴールデン・リング
- オールド・ラヴ
- ザ・コール
そして
- ティアーズ・イン・ヘヴン
でした
幼い子どもの死を歌うエリック・クラプトンは
終始、目を閉じ
それは、かつて見たことのない姿でした
歌手としてギタリスト、アーティストとしてではなく
父として「そこに居る」のを感じました
歳を重ねて何かが変わったのかもしれません
考えすぎ
穿った見方なのかもしれません
受けとり方もひとそれぞれですよね
ありがとうございます
本音を言うと「ティアーズ〜」をステージで演るのを見るのは苦手だったのです
この曲が「流行った曲」のようなノリになるのが悲しすぎました
けれど今回のエリック・クラプトンの姿には
そんな状況をシャットアウトするような何かがありました
祈りのような姿でした
年齢も人それぞれ
80歳だからといって、うんと年をとった人もいるし、
まだまだ若さいっぱいの人もいます
エリック・クラプトンは今、内面に「思い出」を抱えているのかなあと思いました
そういう時期なのかもしれないなあと思いました
みなさまは「思い出」とともに生きている実感がありますか
まだまだ「今」ここを生きていますか
すべては
人それぞれですよね
今日もいい1日をお過ごしくださいね♪
ピンク・フロイドの映画(注・期間限定!)のなかでも
ギターの神様クラプトンが例に出されてましたね