前回のシンガポール
いきなりビックリな体験でした
今回はインドです
インド航空、インド人、インドの「バス停」
お金がないバックパッカーがヨーロッパに行く場合
当時はアエロフロート(ソ連)の北回りか、インド航空の南回りかでした
長い道中の「機内食のインド料理」に惹かれてインド航空を選択したのですから
当然のことながらインドにも途中寄ることになります
それが当時のボンベイ、現在のムンバイでした
インド航空ですから東京からの乗客もインドの方々が多かったはず
私の席も横並び全員、インドのおじさんたちでした
これがね、
今でいうセクハラですよ
へらへらと笑顔の多い少女(って、もう年齢的には大人の女のはずなのに
精神年齢が子供だった。。。)
インド人のおじさんから見たら「いい獲物」だったに違いありません
シンガポールの「バス停」で機外に出てもいい時間がありまして
セクハラおじさんから逃げるためにも
もちろん下車しました
免税店をぶらついているとオジサンが追いかけてきて
「なんでも買ってやるから、第〇夫人になりなさい」というではないか?!
へ?!
こわいよ、おじさん。。。
笑顔はいかん
へらへらはダメだ
これは洗礼でしたね
シンガポールからボンベイまでの開眼
時間になって機内に戻るとまた隣のおじさんたち。。。
何とかして逃れたい
ポーン♪とシートベルトはずしてOK!のお知らせとともに機内を歩き
あいてる席をみつけて
その隣の方々に「ここに座ってもいいですか?」と了解を得て
逃げ場を確保しました
これまたインド人の、こちらは家族でした
4,5歳の少年とお父さんとお母さん
この子供と話している間に楽しい時間は過ぎ
客室乗務員(当時はスチュワーデスさん)に声をかけられました
「こちらはビジネスクラスです」「すぐに自分の席に戻ってください」
へ?!
ビジネスクラスもファーストクラスも何も知らない貧乏な旅人でした
少年のお母さんが何か掛けあってくれましたが
ダメなものはダメでした
そしてまた「セクハラ席」へ。。。
ボンベイで降りる前に少年が私の席に来て
「日本の住所をおしえて」「インドにいるお姉ちゃんが手紙を書くから」と言います
お母さんの入れ知恵ですよね
メモ帖とペンをもってきていました
これがきっかけで
インドの少年のお姉さんと私は文通をするようになりました
そこで学んだことは大きかったです
インド航空からの学び
- へらへらせずに毅然とせよ!
インドの家族からの学び
- 人間は世界中どこででも生きていける(井の中の蛙からの脱出)
開眼でした
ありがとうございます
一族の女の子たちをそれぞれ世界各地に嫁に出していること
それは「危険分散」であること
お見合いなので会ったこともない人のもとに嫁ぐこと
私と同じ20歳前後でカナダに渡ってしまい
文通も終わりました
中国も
インドも
一族が生き延びるための「知恵」としての世界各地への移住があるのかもしれません
のほほんと
高度経済成長の日本で暮らしていた私には
シンガポールも
インドも
いきなりの「開眼」でした
セクハラオジサンたちも
少年と家族も
ボンベイで降りていき、飛行機はまた次の「バス停」にむかいました
シンガポールの変身と同様に
今をときめく都市です
でも、当時のわたしにとっては「なんだこりゃ!?」の体験でした
それでは
今日もいい一日をお過ごしくださいね♪