英語が使えるって、そもそもなんだろう?
- 小学生の時から、ビートルズやロックが好きで、お金のない親に頼み込んで「英語教室」にかよった。アルファベットくらいは分かるようになった
- 「記憶の障がい」を持っているけれど、ロックにつながる英語は中学も高校も得意だった。でも、単語を暗記できないので、学校の試験は散々だった
- 大学に入ってバイトして、ヨーロッパに飛んだ。英語が通じる!と浮かれた
- たまたま近所にいた、いろんな国の人たち(大学の研究者とその家族)たちが、母国語でない英語のニュースをそのまま理解しているのに心底驚いた。話す時は私とそう変わらない拙い英語でも、リスニング力に、とんでもない差があった
- 海外で暮らすようになった。アメリカでもヨーロッパでも、障がいをもつ子供、体の弱い子供の病院がよいと学校でのアレコレのために「生きていく英語」だけは身についた
- けれど、子供が大きくなるにしたがい「英語の下手なお母さん」を、子供が恥じているのも感じるようになった
- 一対一の会話には困らないけれど、集団での会話にはついていけないのが苦痛
さて、「もしも英語が使えたら」
- 最低限の読み書きだったら、多分、高校生のときも出来ていたはず。その時は、英語が「話せる」ひとになりたかった
- 大学生の時は、なんちゃって英語くらいは話せたはず。この時は、英語が「聞き取れる」ひとになりたかった
- その後は、全く英語と縁のない人からみたら「英語を使える」人に見えているのかもしれない。でも、英語ができないコンプレックスはなくならない。「コンプレックスがなく英語が使える」ひとになりたい
- ということは、ネイティブにでも生まれ変わらないかぎり、自分の英語に「私は英語が使える」と満足できることはないのかもしれない
結局、英語が使えるって、どこまでもキリがないのかもしれませんね
英語ネイティブに生まれたら
子供は英語ネイティブです
反対にいうと、子供は日本語の読み書き、聞く話すにコンプレックスを持っています
本人曰く、日本語だと、きょどるそうです
その子供と一緒に洋画を観ていると、笑う場所が違います
感性の違いもあるけれど、英語でそのまま見ているか、字幕を読んでいるかの違いが大きい!
私の結論
もしも英語が使えたら、
字幕なしで映画を思いきり楽しみたい
大好きなロックを、歌詞カードなしに、いきなり聞きたい
たくさんの人とパーティーで話すのは、そもそも集団は日本語でも苦手なので、そういう場に行きたいとは思えません
ひとりで映画を楽しむ
ひとりでロックを楽しむ
その時に、くすくすと、英語でそのまま笑えたら楽しいだろうなあ
それが結論?!
なんだか、小さな夢ですね^_^
ありがとうございます
たかが英語
されど英語
生まれ育てば話せて当たり前の英語
けれど、生まれ育たなければコンプレックスを感じる英語
不公平だけれど、仕方がない英語
「英語が使えたら」というお題は、奥が深いですね
でも、私のロックのように、何か夢中なことがあったら、勉強ではなくて覚えてしまうのも英語
楽しくもありますよね
英語はお好きですか?
英語が使えますか?
今日もいい1日をお過ごしくださいね