
中二階のある天井のとても高いアパートメント
幼な子とともに引っ越しました
この家で2人目の子も生まれました
産み月には両親が助けに日本から来てくれました
喜怒哀楽全てが濃厚に詰まった家でした
怒というのは
なぜ生まれてきてくれた我が子がこんなに病気だらけなのか
あまりに可哀そうで納得できなかったからです
障がいのほうではなく
日々の「ほかの病気」が問題でした
不公平だと思いました
理不尽だと思いました
そして私の癌が発覚したのも
治療に通ったのもこの家からでした
この家には家族の歴史が山のようにつまっています
「生きてるだけで丸儲け」なのだということを
私はこの家で知ることになりました
それは
しあわせな家族としてのスタートの場所でした
ありがとうございます
昨年
夫と子供達ふたりとで
この我が家の「始まり」のような家を見に行きました
私は自分が難しい病気なだけでなく
高齢の父もいるので「お留守番」でした
当時真新しかったスペイン風の洒落たアパートは
今も変わりがなかったです
部屋の窓から真下に見えたプールも
赤子2人を入れたプールでした
アパート裏のグラウンドは規模が大きくなって立派になっていました
その先の荒野は住宅街に開発されていました
様変わりした周辺ですが
父が私の代わりに一日に2度、ベビーカーを押して孫を散歩に連れ出してくれた道や
その先のショッピングモールは今も変わらずありました
懐かしい「人気のお店」で3人で食べてきたそうです
車で出かけていた大型のモールも店は変われども相変わらずで
亡くなった母のお気に入りだった店で3人は「お土産」を買ってくれて帰国しました
下の子が生まれた病院
私のがんの治療をしに通った病院
写真をたくさん撮って帰国しました
家族の思い出です
もう私たちの家ではないけれど
心に残る家でした
人生だれにとっても山あり谷ありですよね
私たちは
それを乗り越えてきた「同志」みたいな家族です
チームワークがなければ
どうなっていたことでしょう
母が海外で言葉も通じないのに食事を作るためにひとり
買い物に行ってくれていたのを思い出します
よく「とんでもない間違い」をしていました
小麦粉とパウダーシュガーを間違えたりですねw
母が亡くなるまで楽しく思い出す「笑い話」となりました
感謝ばかりの家です
それでは
今日もいい一日をお過ごしくださいね♪