
「下書き」したものをそのまま出します
物騒なタイトルで申し訳ないです
いのちは大切です
どうぞ皆様、ご無事でありますよに
死ぬに前に後悔すること
私も自分自身が「治らない病気」なもので
こういうことには関心が強いです
このなかで
人生を後悔しない4つの条件というのが気になりました
・いくつになっても新しい一歩を踏み出すこと
・家族や大切な人に、心からの愛情を示すこと
・今日一日を大切に過ごすこと
いかがでしょうか?
私の場合は
あとの3つは満足なのですが、最初の「自分で自分を否定しないこと」というところで
過去につまづいていました
コロナ禍が始まったころ
つまり、このブログを始めた頃です
家族のために生き「仕事をしていない」自分への劣等感
ズバリこれでした
きっかけはコロナで大家族全員が「ステイ・ホーム」になったことでした
それぞれの「仕事」に生きる夫とふたりの子ども達
年老いて呼び寄せ介護を始めた両親との暮らしの私
気がつくと「夫との仕事の格差」に涙する日々がありました
若き日にふたり一緒にスタートした人生
大きく離れてしまった「仕事の道」
障がいもある子供
認知症になった母
「下の世話」を中心とした人生だったなあと
夫との「比較」で涙する自分に気がつきました
比較こそが不幸の始まり
ここがポイントです
コロナがはじまるまで「幸せ」だったのです
同じメンバー
同じ生活でしあわせだったんです
満足なり
なのになぜ今は涙が出るのか?
それは「ひとと比べた」ことが問題だったんですね
ひとと比べて「自分を否定していた」のです
つまり同志のような存在だった夫との比較でした
わたしも仕事がしたかった
思う存分、働いてみたかった
外の世界を知りたかった
そんな「ないものねだり」をしていたのだと思います
自分で自分を否定しないこと
そんな私に夫が言いました
みんなに愛されていてすごいなあ
家族みんなだけでなく
友だちからも愛されててすごいなあ
ハッとしました
「なにが足りない」のだろう
自分には十分なしあわせがあるのに
何を求めているんだろう
わたしは今のままで充分にしあわせ♪
そう思いました
仕事とは「承認欲求」だったのかもしれない?
小さな世界で生きてきました
家族や
友人たちとの小さな世界です
そこの中で幸せなのに
「もっと、もっと」と求めたのは「承認欲求」だったのかもしれません
そして
お金が欲しかったわけではなく
他人に認めてほしかったのですから
「このブログ」を書くことが
「私もここにいるよ」の場になってくれました
家族と狭い所で過ごす人生でしたが
大きな世界とも
こうしてつながることが出来ました
感謝です
それぞれの人にとっての「死ぬときに後悔すること」
私の場合は
「自分で自分を否定していた」ことが後悔の種でした
みなさまは如何でしょうか?
4つの条件
気になることはありますか?
毎日毎日、同じ24時間だけれど
どう過ごすかは人それぞれ
どう過ごしたいかも人それぞれ
- 毎日を大切に
- 本当に大切なひとを大事にして
- 自分がやってみたいことにチャレンジする
- それがそのままの自分を肯定することにつながる
うん!そんな気がします
ありがとうございます
私の場合は「難しい病気」で人生の「終点」が垣間見えたのが
良かったなあと思います
「終点」がそこにあるのなら
グズグズ言ってる暇はないからです
泣いていた日々が嘘のようです
夫をうらやましいと思い
自分の人生を卑下していた頃が嘘のようです
いまは感謝の日々です
ほんとうに大切なひとたちに囲まれて
自分がしたいことに挑戦し
毎日、幸せを感じている
そんな自分を「これでいいのだ~~~」と思えます
どうぞ
みなさまも4つの条件をチェックしてみてくださいね
不安や
不満の種は
案外、簡単に解決できることかもしれませんよね
後悔なく生きる
後悔なく生きたいですよね
今日もいい一日をお過ごしくださいね♪
追
地震と津波
日本中が大変なことになっていますよね
「なにもなかったら」それはそれで「よかった~~」ということです
油断をしないで大事にならないようにと祈っています
家族や友人たちへの感謝の気持ちが湧きあがります
ご近所やお世話になっている方々への感謝も同じです
生きていること自体が「しあわせなこと」ですよね