ランディ・ローズとオジー・オズボーンの「ロックの殿堂」入り
それぞれの形での「ロックの殿堂入り」については
前回書きましたね
コチラでした
クワイエット・ライオットにおけるランディ
ブラック・サバスにおけるオジー
こちらも、それぞれですが
その2人が個人として一緒になったことで爆発した2年間あまりの期間!
まさに化学反応だったのでしょうね
クラシックのひと
幼い頃から母親が経営する「音楽学校」で学んでいました
長じて教える側の人ともなりました
「教える人」ランディ・ローズの声も残っていましたね
そしてツアー中であってもクラシックギターを学び続けた人でした
亡くなる前にはオジーのバンドをやめてクラシックを再び学ぶことを考えていたというのが
なんともいえない運命でした
クワイエット・ライオットの仲間たちも映画で語る「いい青年」
こんな映画もありました
スターではなく、普通のいい仲間ランディを語る言葉の数々がありました
ギターの凄さ
小柄な可愛らしい真面目な青年
その人がだすギターの爆音
これはビックリですよね
しかも、クラシックが基本にある技巧の数々
ローリングストーン誌が選ぶギタリストランキングでも21位!
怖いものなしの「シャイな実力派」が
「カリスマ性のかたまり」オジーと結びついた時
後世に残る2枚のアルバムが生まれましたよね
『BLIZZARD OF OZZ』と
『DIARY OF A MADMAN』でした
アルバム『BLIZZARD OF OZZ』
クレイジー・トレイン (Crazy Train)
なんといっても、この曲でした
ディー (Dee)
オジー・オズボーンの曲というよりランディ・ローズの曲ですね
涙が出ます
ミスター・クロウリー<死の番人>(Mr. Crowley)
この曲もランディ・ローズならではですよね
イントロの「アレコレ」についてはコチラでした
アルバム『DIARY OF A MADMAN』
DIARY OF A MADMAN
出だしからランディですよね
悲劇の飛行機事故の原因
仕事でとか
やむなくとか
そういう理由で事故に遭遇するのも本当に哀しいですが
ふざけてとか
必要もないのに
そんな理由で命を失うなんて悲しすぎます
寝ていておふざけの遊覧飛行には行かなかった人たち
参加したけれど事故よりも先に乗ってしまった人たち
そして事故の回に乗ってしまったランディとヘアメイクさん
分かれ道でした
お母さんDeeは長生きされた
ランディ・ローズ亡き後も
お母さん
お兄さん
お姉さんのご家族によってランディの思い出は守られてきました
そのお母様も95歳で亡くなられました
ランディと同じお墓に眠られているそうです
お母さんのドロレスさん(Dee)の名前もランディの名曲とともに残りました
ありがとうございます
あまりに可愛らしい姿で
なんとも人懐こい性格で
どこまでも勉強熱心なギタリストで
ギターの時代を変えたひとりでしたよね
信じられない形で
あっという間に逝ってしまったので
いつまでたっても「思い」が残ります
それは
ご家族も
オジーたち音楽仲間も
越えられないトラウマだったことでしょう
ランディが残してくれた曲の数々
きっとこれからも聴かれていくはず
将来のギターキッズたちも夢中にさせる何かが
ランディにはありますよね
それでは
今日もいい一日をお過ごしくださいね