ミッシェル・ポルナレフ「愛の願い」
こちらでした
公式で聴けることに感謝です
愛の願い (ミッシェル・ポルナレフ)を歌詞の意味(和訳)つきで聴く
懐かしさで胸がいっぱいです
愛の願い [日本語訳付き] ミシェル・ポルナレフ - YouTube
ラブミー、プリーズ、ラブミー
その後のフランス語をなんちゃってで歌いましたよね?
そして、今頃、ブライアン・アダムスは仙台ですね
あの歌、歌っているでしょうか
^_^
ここからは自分に向けてです
元気だったころに下書きとして書いていたものを出します
今日もいい一日をお過ごしくださいね
不安症の父、私、子供
大家族ですが、
私の父と、私自身、そして子供1は、
「不安」の強い性格です
これは、生まれつきのもので、変えることが難しいとされている「気質」でもあります
父は、その不安を強く感じる性格を利用して、
リスクに備えることが重要な仕事につきました
不安を人より強く感じる性格を活かしたケースだと思います
私も不安が強いたちです
ことに、地震が異様に怖いのです
ですから、帰国後は、家族全員のヘルメットから、笛から、リュックから、備蓄品から、
笑われるくらいに準備しました
幸にして、一度も使われることもなく、使用期限を過ぎたものの交換まで経験しました
さらに、子供1も、不安の強い性格です
嬉しくない遺伝かもしれませんね
その3人が、ともに「不安」なのに「好奇心が強い」性格も持ち合わせています
つまり、海外など、あちらこちらへと出かけたい性格なのです
不安なのに、出かけたい
こわいのに、それでも行きたい
これは、ちょっとした「ストレス」ですね
病気になりやすい「気質」とも言われているようです
これは、生まれつきの、変えることのできない気質ですから、仕方がありません
「不安」をあまり感じない私の母、夫の母、夫
信じられないくらいに「不安」を感じていないのが、ともに暮らしているとわかります
怖くないの?と訊くと、
え?どうして怖いの?という答えが返ってきます
怖くないのが、当然、当たり前なんですね
3人とも、好奇心の強い人達でもあります
不安を感じることの少ない、好奇心の強い人達
結果、さまざまなことにチャレンジします
失敗は日常茶飯事
失敗して失敗して失敗して、ちょっと成功
それくらいのスタンスなのだと思います
私や、父や、子供1であったなら、
怖くて不安で、そんな風には出来ません
「思考のすごい力」第6章 恐怖を捨てよう 満ち足りた人生を創るために
この章は、ショックでした
「大病のほとんどは、ストレスが原因」というのです
不安なこと、心配事は、生きていれば誰にでもあります
毎日あります
それに対して「恐怖」を感じつづけると、結果、病気になるのか???
(父も私も若いうちに大病を経験しました)
それとも「恐るべきは、恐怖そのものなのだ」というスタンスで、
恐怖を手放すのか???
この違いは大きいです
出来ると信じれば出来る、最初から出来ないと思いながらするならば、出来るはずがない
野球の大谷のことを、よく想像します
自分のために、努力を重ねる人なのだなあと感心します
自分のためだから、笑顔です
好きでやっているのだから、
努力は「したいこと!」なのかもしれませんね
日常でよく使われる
- 〜すべき
- 〜しなければならない
この2つが、
自分の心の底から「したいこと」でもある時、
全く問題はないことでしょう
けれど、
- したくないけれど〜すべき
- したくないけれど〜しなければならない
こういうことを続ける毎日は「ストレス」ですね
したくはないのに、しなければならないのは、
そこに何らかの「恐怖」があるからかもしれません
常に考えてみようと思います
本より抜粋
ここで一つ提案したい。
恐怖とそれに続いて起こる防衛行動とが、どれほど暮らしに影響を 及ぼしているのか、あなたもよく考えてみることをおすすめする。
いかなる恐怖が成長・増殖を妨げているだろうか?
その恐怖はいったいどこから来ているのだろうか?
その恐怖は避けがたいものなのだろうか?
本当に存在するのだろうか?
生活全般に影響を及ぼすものだろうか?
恐怖について、さらに、どこから恐怖が来るのかについては、次の章で詳しく見る。
もし恐 怖をコントロールできたならば、生活を、人生を再び自分の手に取り返すことができる。
いったい、なんのこと?
と、ご興味のある方は、この本をぜひお読みください
ことに、後半部分は、障がいや大病をお持ちの方々に、
生きることの「光」を見せてくれるかもしれません
怖がらない人たちに学びたい
母も、夫も、夫の母も、
とても身近な人たちですから、
毎日の生活は、その「恐怖を感じない人たち」にひっぱられることも多いです
私の内心は不安でいっぱいでも、
ひっぱられて、チャレンジすることになります
終わってみれば、怖いことなど、不安を感じるようなことなど、あまりなかったのだなあと分かります
恐怖は、本当には存在しなかったのかもしれませんね
ありがとうございます
恐怖にかたまって行動しないのは私も嫌です
たくさんの「経験」をしてみたいからです
この恐怖とは、どこからきているのでしょうか?
それが次回への宿題です
みなさまも、私と同じ不安症ですか?
それとも「怖がらない人たち」のお一人でしょうか
恐怖をコントロールする???
今日もいい1日をお過ごしくださいね
今、読み返す
現在のこの状況で、
不安や恐怖のなかで固まることだけは
あってはいけないと自分で思います
恐怖の中で
- でも
- だって
- どうせ
というような言葉を使いたくはないです
その先には光がないからです
言霊ですよね
^_^
みなさまも、
今日もいい1日をお過ごしくださいね