あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

認知症、障害、癌、介護といろいろあっても「幸せな気持ち」になれる「音楽」や「ファッション」や「脳科学」のヒントです 自分自身と家族のために書いていますが、一緒に楽しんでいただけたら、とてもとても嬉しいです

自分で選ぶ変えると幸せを感じる?

今回は、自分で選んで、変えてみるという話です

 

わたしの話によく出てくる 我が家のじいちゃん、ばあちゃん、バアちゃんは3人とも、

親がもともとの先祖代々の土地から、新天地?に移ったひとたちです

 

帰るべき故郷を失ったかわりに、新しい土地という自由を得たひとたちの子供なんですね

 

そのせいなのか、じいちゃん、ばあちゃん夫婦は、前回までお話ししたとおり、引っ越しばかりの人生でしたし

バアちゃんも、あちこちと移っています

 

わたし達夫婦も、長くひとところに居ると、どこか落ち着かないのか引っ越しばかりですね

 

ということは、じいちゃん、ばあちゃん、バアちゃんも子供時代に引っ越しと転校の経験者ですが、わたしも同じ、子供たちも同じなんです

 

子供たちの場合は、親の都合で、国境をまたいだ引っ越しと転校の繰り返しでした

 

そんな経験ばかりしている一家なもので、

学校も

仕事も

住む場所も

自分で選べる、変えられると思っているんですよ

 

ずっと同じ場所で暮らされている方から見たら、まるで糸の切れた凧、風来坊、根無し草そのものなんですが、

 

もしも、同じ学校にいることが苦しいひと、

同じ職場にいるのが辛いひと、

同じ土地に暮らすことがシンドイひとがいたなら、

ほんとうに本当に苦しいのなら、

選ぶことも変えることもできますよと、

そっと声をかけたいなと思うんです

 

自分で死を選ぶほどに苦しい時

トンネルの暗闇の先が見えない時

もう、これ以上は 頑張れないと思うとき

 

ほかの方法もありますよ

選べますよ

変えられますよと小さな声で言ってみたいのです

 

移民が作った国々は、そうした、自分で選んだ、変えたひとたちが多い国ですよね

 

そういうひとと、そういう人たちの子孫というDNAなのか 、実にタフ!ですよね

 

集団にいるのが苦しいとき

そこでの常識が苦しいとき

その集団を離れてみれば、常識もまったく異なる場所がたくさんあります

 

ひとは、いろいろなことを好きなように言うものです

後ろ指をさされたり、もう帰れなくなることもあるかもしれません

 

それでも、命とくらべれば、ひとの噂や

ともに生きてゆく人たちを変えることなど、小さなことではありませんか?

 

孫がバアちゃんに、おばあちゃんは、どうして、1つの仕事を続けないで、いろんな仕事をしてきたの???と訊きました

 

バアちゃんの答えは、

食べていけなかったからだよ

もし、1つの仕事で食べていけたら、それを続けていたよ

でも、これをやってもダメ、あれをやってもダメと、食べていけなかったから、次々と新しい仕事をやってみて、なんとか食べてきたんだよ

 

バアちゃんは、最初の結婚の時、お米もとげない人だったのだそうです

ましてや、離婚後、子供たちと、自分で食べていくための仕事など、見当もつかない所からのスタートだったと聞いています

 

ひとは、いざとなったら、命がかかっていたら、

選べるし、変えられるのですね

 

自分のために

こどものために

家族のために

 

学校も

仕事も

住む土地も変えられます

 

人の噂も七十五日

ほかの人たちのために生きるのではなく、

自分と自分の大切な人たちのために、生きることはできますね

 

自分と自分の大切な人たちが、ああ、幸せだねと感じられるように、選んだり、変えたりすることはできます

 

故郷を捨てたひと

家を勘当されたひと

 

わたしの親たち、その親たちの生き方は

いいとか悪いとかではなく、

生きるために選び

生きるために変えたという

心強い見本だと思っています

 

世の中、上手に集団のなかで生きていけるひとばかりではないから、

そのままで いいんだよ

自分のままで いいんだよ

場所が変われば、また違うものが見えてくるよと、

伝えられたらいいなと思います

 

わたし自身が、集団やグループが苦手なひとだから、ついついお節介な話をしてしまいますね

 

まずは、小さなことから選んだり、変えたりしてみませんか?

 

きっと、

だんだんに

幸せを感じられる時間が広がっていきますよね?