日本で売れたクイーン、チープ・トリック、ボン・ジョヴィ
日本びいきの記事
コチラにもありましたね
もう一度貼らせていただきますね
ファンだけでなく、ボン・ジョヴィからの日本への愛は、セカンド・アルバム『7800° Fahrenheit』に収録されている「Tokyo Road」に溢れています。オルゴールから始まり「サクラ、サクラ」と女性の歌声が流れます。初来日での日本のファンの歓迎が、この曲を誕生させました。
クイーンが「手をとりあって」を日本公演で必ず演奏するように、ボン・ジョヴィも「Tokyo Road」は、必ずと言っていいほど披露してくれます。ライヴには欠かせないファンへの賛歌となったのです。
今年のクイーン来日公演の「手をとりあって」で泣いたファンも多かったはずです
同様に、ボン・ジョヴィも!ですよね
ミュージック・ライフとボン・ジョヴィの関係
コチラの記事ですね
アメリカの巨大な市場では、レコードがかなり売れても失敗とされるのですね
それと比較すると日本では、あっという間に熱烈なファンたちがコンサート会場をうめてくれるという違いは確かにあったのだと思います
コチラの記事ですね
アメリカで成功しなければ世界では売れない
けれど、
そのアメリカでの成功が1番難しい
そういうことだったのだと思います
流行と全盛期(日本で売れれば世界で売れる?)
コンパクトな国だから流行が隅々まで届きやすいというだけでなく
日本人の私たちは横並びの意識がつよいのか、
流行に飛びつくのが速いですよね
日本全国で秒速で流行ってしまうという現象がおこります
クイーンしかり
チープトリックしかり
そしてボン・ジョヴィも、しかり
でしたよね
ましてや女子中高生
アイドル的なルックスは「最強の武器」
ボンジョビに関しては、私の場合はすでに大人でしたが、
いや、
年齢にかかわらず「アイドル」に弱いのが女子かもしれません(^^;
とはいえ、
日本で売れれば世界で売れる、などというほど甘い世界ではないですよね
やはり実力がなければ、全盛期まで続きません
ロックじゃない?!ひとの好みはそれぞれ
評論家といわれる人たちからは、さんざんな評価だった
クイーン
チープトリック
ボン・ジョヴィ
でしたよね
ポップ(流行歌)ってそんなに悪いこと?
難しい音楽だけがいいもの?
若い時にはそんな曲がほしいだけだよ~~~
聴く側にとっても、いろんな「それぞれ」がありましたよね
時がながれて、たくさんの異なる音楽を聴いて
今、こんな曲が好きなんだよ
というのもモチロンあります
でも、
小学生の時から夢中になった曲はすべて「思い出」ですよね
純粋主義者たちから冷笑され、時にガンズ・アンド・ローゼズの陰に隠れながらも、イギリスのデフ・レパードに対するアメリカからの回答と呼ばれたボン・ジョヴィは、分かりやすさとキャッチーなアンセムの数々によって、80年代のハードロック界を代表する存在となった。
その先が「ロックの殿堂入り」となりました
ありがとうございます
前回の
「ひと(他者)を変えることなどできない」に続いて
「ひと(他者)の邪魔をしない」の話です^^
仕事関係なら若い人や後輩などに
家庭なら配偶者や子どもたちに
「自分だったらこうするのに、こうしたほうがいいのに」と
モゾモゾすること、ありますよね
でもね、
ひとはひと
全く自分とは異なる人間
だから「変える」ことなど出来るはずもないし
ましてや「邪魔をする」なんて論外なんだと
60代になってから気づく。。。
ごめんよ~~~~~(悲鳴)
そのひとには、そのひとの感じ方、考えかた、やり方がある
それをそのまま(たとえ気に入らなくても^^;)うけ入れることができるか?
その人のやり方を「邪魔しない」ことができるか?
寄り添ってほしいだけで
アドバイス(ジャッジメント)はいらない
うーん、
深いですよね
野球の大谷さんだとか
将棋の藤井聡太さんだとか
ピアノの辻井伸行さんだとか
「ふつう?」とは異なる子供に対して
「皆と同じように、ふつうに!」とオールラウンドな学校生活?をするように
その人の「邪魔をする」ならば、
いまの彼らはいなかったことでしょう
その人は自分ではなく「他者」なのだという視点
だから変えることなどできないし、
ましてや邪魔などしてはいけない
ボン・ジョヴィというバンドにとってはリッチーが抜けてしまったことは大打撃でしたが、
リッチーにとっては自分の家族の再構築(娘との関係)という
彼の人生にとっては、バンドよりも大切なことがあったはずと想像できますよね
邪魔をしなかったボンジョヴィのメンバーは偉かった!
ひとはそれぞれみな
一生懸命に生きてるだけ、なんですよね
^_^
言うは易しーーー
反省ばかりです ^^;
それでは、
みなさまも
今日もいい一日をお過ごしくださいね