ローリング・ストーンズの新作アルバムの広告?
コチラの記事ですね
広告だとすると、凝ってますよね
ミック・ジャガーも80歳に
元気な80代が続々です
コチラの記事も!
チャーリーが亡くなって早、2年
今日が命日なんですね
たくさんの仲間たちに惜しまれた80歳でした
チャーリーの日本でのインタビュー記事の紹介
そして、チャーリーに捧げる新作アルバムへの参加者
あっという間の2年でしたね
チャーリーのいたローリング・ストーンズ
ということで
今日の1曲に進みますね
"Dancing with Mr. D."
ミック・テイラーの帽子姿に違和感がいっぱい!ですよね
ブートレグで聴く
正式に公式で聴ける、
嬉しいです
観るほうは、アレレの短さですけれど
^_^
ライブで聴く・観る
この曲も、それ以外の曲も、
セットリストとともに沢山載っています
コチラの記事ですね
感謝です
さらに興味深い記事
コチラです
この部分
「『GOATS HEAD SOUP』は、かなりの鳴り物入りでリリースされた。今、君たちが本などで読んでいる情報とは異なるかもしれないが、1973年当時の子供たちはまだグラム・ロックや、メタル、プログレやフィラデルフィア・ソウルなどに完全に取り込まれていたわけではなかった。そしてそのような彼らが何万枚とアルバムを購入して、このアルバムはアメリカとイギリスで1位になり、5週連続でイギリスのチャートのトップに輝いたアルバムとなったのだ」
1973年、日本の田舎の子供だった私も、
Tレックス、レッド・ツェッペリン、ELP、イエス、スリーディグリーズなど、
雑多な混沌の世界のラジオから、ローリングストーンズの「アンジー」を聴いていました
とても面白い時代だったと思います
ありがとうございます
さて、
よく「子どもは自分で、親をえらんで生まれてくる」という話も聞きますよね
兄弟姉妹で、天の上?から「じゃあ、後で会おうね」と言っていたとか
面白いけれど、
ホントのところなど誰にもわからない話ですね
^_^
我が家には「障がいもある子ども」が生まれてきてくれました
彼の存在で、我が家はとても楽しく豊かになりました
大変なことももちろんあるけれど幸せ
まさに、そんな感じです
ふりかえると「障がいもある子どもたち」は、それまでも自分の身近にいました
私は小学生の時から学級委員ばかりだったので、机を並べる子は「勉強をみてあげてね」と先生に頼まれる子だったりしました
大学卒業後、ボランティアで「障がいもある子ども達」の水泳のパートナーもしていました
アメリカのホストファミリーには「障がいもある子」がいました
留学先のクラスメイトの家は「障がいもある兄弟」がたくさんの家でした
そして、
我が家にも「障がいもある子」が生まれてきてくれました
もしも、
彼が、わたしたち夫婦を「あの人たち♪」と選んで来てくれたのだったら
嬉しいなあと思います
ヘンテコな夫婦なので相当に「苦労」することも分かっていて、
それでも、「あそこに行ってみよう!」と、きょうだいできてくれたのならば、
もっと嬉しいなあと思います
私と子供が海外で病気になったとことで、
両親たち3人は「大家族」として、ぐっと近しい存在、ありがたい存在となってくれました
まさに、
幸せと不幸せは「コインの裏表」
見方をかえるだけで、
そこにはいつも「幸せ」があるんだよなあと実感します
現在の父と私の日々も同じです
限りがあるからこそ、日々が愛しい
日々が輝く
そういう考え方もできますよね
誰にとっても、人生の日々は有限♪
笑顔だーーーー♪
今日もいい一日をお過ごしくださいね