Arigato 毎日幸せを感じる「懐かしい曲」と「思い出」と「終活」

難しい病気、障害、うつ、癌、認知症、介護といろいろあっても大丈夫♪

シンガポールと飛行機の思い出

飛行機の思い出

1960年代の終わり、たぶん8歳か9歳の頃

生まれてはじめて飛行機というものに乗りました

夜の便だったのですが

機内の窓から見る眼下の「夜景」の灯りがあまりに美しくて

口を開けて見とれていたのでしょう

突然の着陸とともに

下唇をおもいきり嚙み切ってしまいました。。。

バカな子どもです。。。

父 (現在の我が家のじいちゃん)と二人移動中でした

すごい顔になって帰宅すると母 (亡くなったばあちゃん)が

父を咎めましたが

いや、完全に私が馬鹿でした。。。

シンガポールと飛行機(国際線)の思い出

国際線の飛行機に初めて乗ったのが、それから10年後くらい

いわゆる「バックパッカー」になってヨーロッパへ貧乏旅行に出た時です

家族でハワイとか、そんな夢みたいな生活ではありませんでしたw

国際線の飛行機なんていうのもはじめて

いったいどうやって空港にたどりついたのかも覚えていません

記憶はたぶんシンガポールから始まります

南回りか北回りか

当時のバックパッカーのヨーロッパ便は

南回り インド航空

北回り アエロフロート(ソ連)

このうちの1択だったように記憶しています

ものすごく時間がかかるので私はインド泊とインド料理に惹かれて

南回りを選択しました

バスみたいなもので

あちこちに途中とまります

途中乗車、途中下車がいっぱい

最終地ロンドンまでは丸一日以上かかったと思います

すごいな

シンガポール?からの途中乗車客

最初の「バス停」はシンガポールだったと思うのですが

アジア1番を誇る今の「お金持ちシンガポール」のイメージではありません

乗ってきたのは「やかん」「なべ」を紐でつないだのを背にぶら下げたひとでした

え!?

強烈な印象でした

え?!

この方は次の「バス停」たるインドのボンベイ (現ムンバイ)で下車されました

なんなんだったんだ???

この経験からできた「シンガポールのイメージ」が

どんどんアジアのヘッドクオーターが東京からシンガポールへと移動していく哀しみ

そんな「シンガポールの栄光」に変わるまで随分と自分の中では時間がたちました

自分自身が家族、子ども達、じいさんばあさんとシンガポールに行ったのも

ずっと後のことです

煌びやかなシンガポールでした

ありがとうございます

国際線なんていう「アテンション・プリーズ♪」なイメージとは裏腹な

すごいヨーロッパ往復でした

いや

お金がないからインド航空(あるいはアエロフロート)だったわけで

素敵な国際線はモチロン存在していたはずですが

全くそちらは管轄外でした

「バス停」の思い出はシンガポールにはじまり

次々とありますので

また書きます

「思い出」って強烈ですよね

脳を刺激しまくりますw

鍋釜のひとは難民だったの?

季節労働者だったの??

なんだったの???

それでは

今日もいい一日をお過ごしくださいね♪