ものは要らない
父も母もいわゆる物欲のない人たちでした
ただし「もったいない世代」です
頂き物で必要のないものなど処分できず溜まっていました
街角で配られるポケットティッシュなど
あちこちに山のようにありました
生きた証
母の書棚の整理をしました
図書館で本を借りることの多い母でしたが
自分で買った本もありました
しみじみ眺めてしまったのは
英語の学習本の数々でした
中学1年生
中学2年生
中学3年生
それぞれの学習参考書が2種類ずつと単語本と辞書
そしてラジオ英会話とテレビ英会話のテキストがたくさん残されていました
たくさんの書き込みがありました
懐かしい母の綺麗な字でした
戦争で英語が学べなかった世代です
上の兄弟も下の兄弟も学べたのに
自分たちは敵の言葉だとして学べなかったと
歳をとってからも「自分で」勉強していました
毎年、アメリカへヨーロッパへと
娘の家族を助けるために来てくれていましたから
趣味を超えた「必要だった部分」もあったと思います
お母さん、ありがとうと思います
いくつまでも学べる
父は英語を仕事上で学んだことがありました
大昔すぎてもう忘れてしまったはずですが
歳をとって学びたかったのはその英語ではなく
娘の住むヨーロッパの言語でした
物珍しいから
人との「比較」にもならないし
楽しかったのだと思います
母と同様にラジオ会話を続けていました
なんと90歳を超えても続けていました
珍しいその言語を話している人を見つけると話しかけていましたw
そんなあるとき、
若い時に好きだった囲碁、将棋のケータイゲームにハマりいまに至ります
何でも、好きな物は年をとってからでも学び続けることができるのだなあと
父の姿、母の姿に学んだ娘です
認知症の予防にももちろんいい!ですよね
捨てられないから溜まるもの
台所用品でした
新しい鍋を買ったら、古いものは捨てるということが出来なかったのでしょう
父との二人暮らしには不要なほどの鍋類がありました
着物類
母は年に何回か着物を着ることが必要でした
子供の頃、母が自分で着物を着て出かけ
帰るとその着物の手入れをしていたのを思い出します
私は結婚式以外着物とは縁のない人生でした
それすら貸衣装でした
母の着物をどう処分するのか?
全く見当もつきませんでした
貴重品
母は認知症になったある日、父に自分の貴重品の管理を頼んだようです
決して仲がよかった夫婦ではありませんでしたから
母の「認知症」への覚悟が感じられて哀しいです
でも現実的には、父は100歳も近づいてきた今も
金銭の管理は自分でできる人ですから
実家に貴重品を残すことはほとんどなかったと思います
父の想像もしない母の小さな「袋もの」のあちこちに
現金が入っていたこと
家計簿や
文箱の封筒などに
現金が用意されていたこと
貴重品はそれくらいでした
しっかり者の父に感謝ですね
「捨てるもの」を選ぶより「残すもの」を選ぶ方が早い
実家の整理の場合は、そうでした
最初は「まだ使える」「多少は価値がある」ものを処分するのが辛くて
捨てるもの、捨てられるものの処分ばかり考えていました
自分に残された時間がないと知ってから
貴重品などの「捨ててはいけないもの」さえ発掘できれば
それでいいのだと諦めることができました
父も自分も同じ
早かれ遅かれ「さようなら」の時が来る父と私
同じですね
ものは要らない
衣食住、全てに関して、ものは要らないと感じています
母の時と同じように
捨ててはいけない貴重品以外は処分することになるでしょう
メルカリやセカンドハンドショップなどで売る時間も手間ひまもありません
ものを増やさないことは
生きる上で大切だなあと思いました
ありがとうございます
母の本
父の仕事関係のもの
私にとっては写真の数々
そういう「大切にしていたもの」があります
それすらアチラの世界には持って行けません
現在だってそうです
実家に残された大量の写真を今の家に送ることはしませんでした
どうしても手放したくないものは写真に撮ってスマホに保存しました
思い出ともサヨナラの日は近づいています
ありがとうございます
みなさまもご自分の「処分」を考えていらっしゃいますか
映画「パーフェクト・デイズ」を観てから
ものがなくても幸せに日々生きることは出来ると実感しました
本当に必要なもの、自分にとって大切なものは何なのか
一人一人違いますよね
自分のコレに気がつきさえすれば
もののない、ものの少ない幸せな毎日は可能なんだなと
今ココです
それでは
今日もいい一日をお過ごしくださいね♪