あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

認知症、障害、癌、介護といろいろあっても「幸せな気持ち」になれる「音楽」や「ファッション」や「脳科学」のヒントです 自分自身と家族のために書いていますが、一緒に楽しんでいただけたら、とてもとても嬉しいです

ミッシェル・ポルナレフ「愛のコレクション( Qui A Tue Grand' Maman)」Michel Polnareff【思考のすごい力】(ブルース・リプトン博士) 書評「障がいもある子供の場合」

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愛のコレクション( Qui A Tue Grand' Maman)ミッシェル・ポルナレフ

ポルナレフの独自の世界ですね

これがまた懐かしいです

Michel Polnareff - Qui a tué Grand-Maman - YouTube

ここからは自分向けです

元気だったころに下書きとして書いていたものを出します

今日もいい一日をお過ごしくださいね

障がい

世の中には様々な障害があります

  • 身体障害
  • 知的障害
  • 精神障害

障害があると認定されずとも、

その方向よりの身体、能力、性格をお持ちの方も少なくないかもしれません

例えば、私は生まれてから今に至るまで障害と認定してはもらえませんが、

明らかに、記憶力に欠損があります

ある種の認知症のような状態ですね

さらに、障がいには、生まれつきのものと、生後に何らかの理由でなるものもあります

ともに暮らす父、暮らした母も、

年齢とともに、認知症という知的障害に準じる状態や、身体障害に近い「車椅子」を必要とする状態に時としてなっていきました

そう考えると、

障がいというものは、

誰にとっても身近なものですね

「明日は私の順番かもしれないね」

そう思ったならば、

今、困っている方たちに、もう少しだけ優しくなれると思います

子供の「障がい」と受け取り方「思考」の家族間格差

「障がいもある子供」を育てていたのは私です

自分の癌の治療中も、もう1人の子供をデイケア(保育園ですね)に毎朝預けて、

午前中は病気の子供の治療、

午後は、自分の病院と

文字通り車で駆け回っていました

夫は生活費を稼ぐ係だったので、

育児にはほとんど関わりませんでしたが、

性格が子供のような人なもので、

子供たちといつも遊んでいました

その中で、

夫は障がいもある子供のことを「障害」とは捉えていませんでした

 

一方で私は、他の子供たちと明らかに違う自分の子供を、徐々に「障がいもある子」として見ていくようになりました

そのおかげで、障がいもある子供たち同士の友達作りもできましたし、

同様に同じような境遇のママ友もできました

それは居心地のいい、あたたかい場所でした

 

その2人が父として母として暮らすと、

沢山の意見「思考」の相違もありました

例えば、夫は子供たちとサイクリングをしたい人でした

障がいもある子供達をたくさんみてきた学校の先生には止められました

危険だからです

それでも、夫は子供たちと自転車で出かけることを選びました

いつも夫は最前列

子供1

子供2

私が最後列でした

子供たちが側溝に落ちないか、信号を渡りきれるか、

いつも、ドキドキはらはらでした

大きな事故がたまたまなかったからこそ言えることです

運がよかっただけかもしれません

けれど、子供たちは、今も、

家族で自転車で走るのが大好きだったと言います

最後列の私は、こわくて、こわくて、

楽しむどころではない経験もたくさんしましたが、

あちらで、こちらで、

ずいぶんとサイクリングをしたのは、家族全員の思い出です

学校の選択

海外で生まれ育った子供でもあり、

日本でいうところの、通常の「障がい児教育」を受けませんでした

そんなわけで、

子供自身は、いろいろな子供たちに揉まれて育ちました

おしゃまな女の子達は、いろいろ言ってきました

意地悪な子に、酷いことも言われました

同い年の友達は、出来ずらかったかもしれませんが、

どこの国にも、いい人はいます

子供たちにも、それぞれに、よき友人ができました

ありがたいなあと、涙が出ます

経験

病気もたくさんある子供がいながら、

自転車ばかりでなく、

重い医療機器をかならず持参で、ずいぶんと色々な国を旅しました

「経験」の話です

アメリカも、ヨーロッパも地続きの国々がありますから、

日本でいうと、県境を超えてのドライブといった感覚でした

子供が怪我をしたことも、熱を出したこともありましたが、

やはり、運のいいことに大ごともなく、成人にいたるまで、

たくさんの「経験」を家族で重ねることができました

彼らのこれからの「夢」は、

住んでいた家や、旅した場所を、再訪することだそうです

うらやましいので、私もついて行きたいくらいです

「障がい」と「才能」

我が家は、そろって、ピアニストの辻井伸行さんの大ファンです

ご存知のように、目に障がいもおもちのアーティストです

そのあたたかい音色、超絶テクニックもさることながら、

笑顔とお人柄にも魅了されます

ともに出演される共演者の方々が、みな笑顔になり、

ますます良い演奏になるのが、いつも感じられます

辻井さんを見ていると、

「障がい」は「才能」でもあると感じます

ある部分に「障がい」をもつことによって、

他の部分が「才能」をひらかせる

これは、よくあることだと感じています

我が家の障がいもある子供のことを、夫は「神に祝福された子」と呼んでいますが、

その意味は「笑顔」と、その「伝播力」です

親族などが集まると、みな笑顔になります

幸せの素のような、得がたいひとです

^_^

障がいというものを

よいものと受け取るのか

悪いものと受け取るのか

その「思考」が、

  • 毎日、話す言葉となり
  • 毎日の行動となり
  • 毎日の習慣となり
  • そして「運命」をも変えていくのだ

という「お手本」

そんな辻井さんを、YouTubeで観たり聴いたりできる

そんな現在という時に感謝です

ありがとうございます

私1人だったなら、

不安で、怖くて、

こんな子育てはできませんでした

注意深く「障害のある子」としての道を歩ませていたことでしょう

子供を、可哀想な障害のある子として見ること(つまり思考ですね)ができない夫が主導の、

ある意味無謀な「経験」が、

子供たちをぐんと大きくしてくれたと感謝しています

みなさまは、

私のように「不安」や「恐怖」を強く感じる性格でしょうか?

夫のように、ある意味「鈍感」なタイプでしょうか

物事を、良い方にとらえるのか、悪い方にとらえるのかで、運命すらも変わる

ブルース・リプトン博士が語る、思考がもつ「すごい力」については、

自分のこと、子供たちのこととしても、

思い当たることが沢山あります

みなさまは、いかがでしょうか

今日もいい1日をお過ごしくださいね

今、この下書きを読む

我が家の障がいもある子どもは、自分だけが「障がい手帳」を持つことに劣等感をもっていました

母である私も記憶障害の「障がい手帳」をもらうべきだと常に主張していました

その私も、現在の病で障がい手帳をもらうことになるかもしれません

子どもは家族の中にも「仲間」ができたことで勇気づけられるでしょうか

まだ分かりません 

私自身は、怯むことなく前進したいと思います

夫が教えてくれた「出来ると思ったら出来る」「出来ないと諦めたなら出来ない」

そういう楽しみかたを、自分も失いたくないです

今できることを無理してもやってみる!

チャレンジャーでありつづけたいです

^_^

みなさまは、いかがですか?

今日もいい1日をお過ごしくださいね