クリスマスですね
私は昭和の子どもでしたから、
クリスマスというのは、「飲み屋に行ったおじさんたちが、三角帽子をかぶってピーピー笛を吹いているイメージ」のクリスマスから記憶は始まります 笑
酔っ払って、帰りにクリスマスケーキを家に持ち帰るイメージですね
我が家の90代のじいちゃん、こと、父は飲まないひとでしたから、酔っ払って帰ってくるクリスマスではありませんでしたが、
仕事一筋で、クリスマスもなにもあったものではありませんでした
緑?赤?
こちらも、似たようなコーデなのですが、
緑 (写真ではグレーですね 汗) と、赤では、まったくイメージが変わりますね
^_^
どちらがお好みですか?
クリスマス
さて、
我が家の認知症のばあちゃんは、キリスト教徒の両親に育てられたので、クリスマスの思い出をたくさんもっています
信者さんたちの家々まで、聖歌隊がやってきて玄関先で歌ってくれること(え!?)
戦争中は、賛美歌を歌ってクリスマスをしてはいけないと、ご近所からの目が怖かったこと
夕べのクリスマスイヴも、ばあちゃんは、クリスマスの思い出を話しました
クリスマスは、思い出が多すぎるせいか、喜んだり、嬉しすぎて泣いたり、思い出が何度も何度もあふれました。
私自身の思い出は、クリスマスの朝になると枕元にサンタさんからのプレゼントがひとつ、置かれていたことです
毎年、一冊の本でした 笑
少し大きくなって、サンタさんとは、、、が分かった時から、おねだりが始まりました
洗濯機のおもちゃ
綿菓子のおもちゃ
モコモコという名?のアイスクリーム
まあ、いろいろ欲しいものはありましたが、どれももらえませんでした 笑
そして、我が家の子供達のクリスマスのときがやってきました
私も夫も育った家に余裕がなく、クリスマスきらきらではなかったもので、
狂ったようにwクリスマスを楽しみました
子どもたちも、クリスマスが大好きでした
じい、ばあ、バアちゃんたちも、自分たちの経験にはないアメリカの豊かなクリスマスを楽しむことができました
そして、それは、
私が癌で、治療中だからこその、大家族が集まってのクリスマスでした
クリスマスの朝、サンタさんからのプレゼントと、家族それぞれからのプレゼントをあける喜び!
まさに、物質主義のアメリカを象徴するようなプレゼント合戦ですが、
でも、正直言って、このプレゼントをあける瞬間が楽しいんですよね
私が抗がん剤で、眉毛もまつげもないツルっ禿げ頭でプレゼントを開けている写真、
家族みんなが、代わるがわるに、私のカツラをかぶって撮った写真、
いろいろなクリスマスの写真があります
実の母、ばあちゃんにも助けてもらいましたし、
夫の母、バアちゃんが、
「青子さんが可哀想だ」と泣いてくれて、
毎日、具沢山のお味噌汁を作ってくれました
それは、キモセラピーでやられていても食べることのできる、まさに「命を救ってくれた食べ物」でした
いっきに25キロも体重が減って、バアちゃんの味噌汁がなかったら死んでたよ〜と思うと、
感謝の気持ちしかありません
ありがとうございます
我が家の「認知症のばあちゃん」は、毎年、クリスマスにファッショングッズを貰うと、鏡まで行って、もうほんとうに嬉しそうなんです
顔の下に当ててみて、踊りながら浮かれているんです(心臓発作が心配なくらい 汗)
その笑顔を見るだけで、みんな、ハッピー!!!
そして、次の日にはオチがつきます
クリスマスの日にもらったプレゼントだということを、当然のことながら、すべて忘れているばあちゃんは、
あんなに喜んだスカーフなどを
「あら嫌だ、こんな色は派手で着られないわねえ」
などと、のたまうことになります^_^
でも、いいんですよ
クリスマス当日の、ばあちゃんの、あの「笑顔」や「笑い泣き」は本物で、
家族みんながハッピーだったんですから
と、いうわけで、
今日はクリスマスですね
↑
たっぷり2時間分あります
懐かしい曲が、あるでしょうか?^_^
コロナで、家族にも会えない、大切な人たちにも会えない
つらい状況の方たちも多いクリスマスです
大切なひとたちに、あたたかい心が届きますように
大切なひとたちのあたたかい心が、心に響いてきますように
今日もいい一日をお過ごしくださいね