あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

毎日「幸せな気持ち」になれる「音楽回想法」や「服の手放し」や「脳科学」のヒントです 認知症、障害、うつ、癌、介護といろいろあっても大丈夫♪ 自分自身と家族のために書いていますが、一緒に楽しんでいただけたら、とてもとても嬉しいです

好きだった給食

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小学校の鯨の竜田揚げ!

一択です

鯨は、学校給食でしか食べたことがありませんでした

多分、昨年逝った母は、クジラが嫌い、もしくは食べたことがなかったのだと思います

私は本気で、学校給食のくじらの竜田揚げが好きだったので、

つくってー、作って〜と言ったはずですが、

家で食べたことは、ついにありませんでした

幼稚園の肝油!

それ以前に、

給食とは言えないけれど、

まあ、貧しかった日本の「栄養」を子供に与える作戦?の一環、

幼稚園の肝油というのもありましたよね

あれがまた、好きでした

甘いお菓子の少ない時代

言ってみれば、今の子のグミ!みたいなものでしたよね

もっと食べたーい、もっと欲しいいいーと、思っていました

中学校のババロア!

なぜか、中学に入った途端、給食にデザートがつくようになりました

あれは、なんだったのでしょう

栄養士さんが、若者で、工夫してくれたとか?

とにかく、ババロアの日が待ち遠しかった

食い気たっぷりの中学生でしたね

高校のジョア!

これまた給食ではありませんが、校内の売店の話です

売り出されて間もないジョアが人気でした

中でも、オレンジとか、みんなが狙っている味と、

プレーンやレモン?のように、人気のない味があり、

休み時間に廊下をダッシュしなければ、手に入れることができないものでした

もちろん、終業のベルとともに走りました

^_^

ありがとうございます

食い気の優った子供でした

当時だって、健康診断の前は、

女子はみな、1週間は食べない!とか言っていましたが、

私はそのグループとは縁がありませんでした

いつだって、給食の(お昼の)時間は楽しかったです

そういえば、親戚のおばたちの間では、

「なんでも美味しい美味しいと、たくさん食べる、可愛い青ちゃん」と呼ばれていました

すっかり忘れていたけれど、

いやしい子供でした

今は、給食ではなく、ロックの思い出を書いています

よろしかったら、ご覧になってみてくださいね

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