あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

認知症、障害、癌、介護といろいろあっても「幸せな気持ち」になれる「音楽」や「ファッション」や「脳科学」のヒントです 自分自身と家族のために書いていますが、一緒に楽しんでいただけたら、とてもとても嬉しいです

歌詞和訳 カーペンターズ 「青春の輝き」I Need to Be in Love の日本語の意味 私は生まれた時から「認知症もどき」だから対処法のヒントがあります♪

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カーペンターズ「青春の輝き」 - Need to Be in Love

こんなに美しい歌声の数々

youtu.be

カレンさんにありがとう

歌詞の意味と和訳

あまりに切ない詩です

青春の輝き / I Need To Be In Love [日本語訳付き] カーペンターズ - YouTube

つらい日々は誰にでもあるけれど、朝を待ってほしいです

陽はまた昇るから

私は仮死で生まれました

今日は「認知症」につながる話です

お聴きいただけると嬉しいです

低体重児(当時は未熟児と言いましたね)の小さな赤ちゃんたちに並んでガラスケース(保育器)に入っている大きな赤ちゃんが私でした

息をしていない仮死の赤ちゃんでした

「怠けている」と言われていました

小学校も、中学校も、高校も、怠けている子なんて山のようにいるのに、

怠けている!と私が先生たちに言われつづけたのは「記憶の脳が壊れていること」に本人も周りも気づいていなかったからでしょうね

私にとっては「記憶力がない」のは物心ついた時からの「当たり前」の状態だったので、人と比べてみることもなく、

自然と「メモに頼って生きる」方法にたどりつきました

記憶力なさすぎ

優等生の昔あるあるで、いつも学級委員をさせられました

クラスメートの名前も覚えられないよ!

リーダーシップなどまるでないよ!

だから、昔あった個人情報てんこ盛りの「クラス名簿」「連絡帳」などに似顔絵を描いたり、エピソードを加えたりして必死に名前を覚えました(結局、覚えられなかったけれど)

それでも、1.2年の間にはまた転校です

ご破産でねがいましてはと、すべてを無にしてから又やり直しの人生でした

嫌ではなかったけれど、名前すら覚えられない記憶力ですから、きついといえばきつかったのかもしれません

教科書もその都度変わり、進行状況もまちまちだったので、取りこぼしも多かったです

でも、もっと迷惑をかけたのが同級生へのはずです

のちの「クラス会」「同窓会」などに最も向かないクラス委員でした

常に現在の生活で目一杯で、過去の友人たちとつながり続ける余裕が全くありませんでした

そんな中で、今に至るまで細く永く関係を続けてくれているごく少数の、それぞれの土地の友人たちには、心から感謝しています

とても正直で心がきれいで、大好きな友人たちです

メモをとりながら読書

小学校の三、四年ころ?から推理小説にハマりました

お定まりのシャーロックホームズに怪盗ルパンのシリーズですね

一晩で読み切れるといいのですが、

そうでない場合、次の日には記憶がもうダメ

はじめから読み直さなければならない!

だから、メモをとりながら夢中で読んでました

メモには「犯人は〇〇?」とか自分の推理も書いてあったりして 

不安の中で生きること

生きてる人はだれだって不安なはず

不安という感情は、多かれ少なかれみんな持ってるはず

でも「記憶が壊れている人」にとっては、不安は常に日常です

だって、覚えられないんですから

今したことも、すぐに忘れてしまう

しなければならないことも、すぐ忘れてしまう

恐怖ですよね

メモだらけの中で生きていたけれど、それはそれは不安でした

心の病気にもなりました

記憶の実験の被験者になって「ありえない記憶力」なのだと知る

大学生のとき「記憶の実験」の被験者になったことがあります

その先生に呼び出されました

「ふざけるな」と言われました

「ふざけてなんていません。一生懸命にやりました」と真摯に伝えたら、

「あなた、大学というものに、よく入れましたね」と言われました

それくらい「酷い記憶力」なのでしょう

それは、なんとなく薄々感じていましたが、

メモをとりとり、そこそこ上手く生きてきたので、そこまで重大にうけとることもありませんでした

料理もレシピは覚えられない、物の値段も覚えられない

主婦になると、料理をつくります。美味しいものを適当に作るのは得意です。

でも、レシピを覚えることはできません。

いちいち分量を図る必要があるものは無理!

ケーキなど分量通りにしないと膨らまないようなものは、絶対に無理!

適当料理、名もない美味しい料理

それだけで過ごしてきた気がします

底値でものを買うなんていう主婦の技も無理!

それぞれの底値など記憶できるはずがないんです

哀しいけれど、それは気づいていました

沢山のものの「底値表」のメモを作っていた時期もあるけれど、諦めました 

無理なものはムリなんです

^^;

癌の脳転移の検査で医師に訊いた「記憶力の謎」

のちに、癌になって、

それは色々な検査もしたけれど、こんなに苦痛ならこっちも訊いてやれ!のノリで長年の「ひどい記憶力の謎」「なぜ私の記憶力は人とここまで違うのか?」を訊いてみました

ヨーロッパのドクターでしたが、一発回答でした

「あなた仮死で生まれていませんか?」

それだったんだ?!

「微細な脳の損傷は、現在の医学では検査できないけれど、医師の経験としては、仮死で生まれた子どもたちに「記憶の障害」を持つ例が多いことは周知のこと」

なあんだ!

「怠けてる」

「人生を甘くみてる」

いろんなことを言われて生きてきたけれど、

ちゃんとした理由があって、こんな状態だったんだっていう、

それだけのことだったんだね?

ほっとしました

心底ホッとしました

私は怠けてなんかいない

私は私のままでいいんだと、ホッとしました

母が泣いた

あまりに嬉しくて母にその話をしたら、

母が電話口で泣きました

「そんなふうに産んでしまってごめんね」と泣きました

そんな意味じゃないんだよー、おかあさーーん

娘は、

「これでやっと分かった!

私は私として今まで通りメモをとりながら生きていけばいいのだ!」

とハッキリわかって、嬉しくて話してるんだよーー

私も泣きました

嬉し泣きでした

次回に続きます、ありがとうございます

いつも話が長い!

認知症の話まで辿り着けませんでした

^^;

いつもお付き合いくださり感謝です

みなさまにも、長く付きあってきたどんな「自分」がいますでしょうか

本当に長い付き合いですよね

それでは、

今日も笑顔で,いい一日をお過ごしくださいね