あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

認知症、障害、癌、介護といろいろあっても「幸せな気持ち」になれる「音楽」や「ファッション」や「脳科学」のヒントです 自分自身と家族のために書いていますが、一緒に楽しんでいただけたら、とてもとても嬉しいです

貧乏?裕福?どちらでも幸せを感じる???

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幸せになるというとき、

一番最初にイメージされるのは、

お金に困らない裕福なお金持ちになりたい

ということが多いのではないでしょうか?

 

着る服もなく

食べるお金もなく

住む家もない

そういう状況は、幸せどころではないでしょう

 

毎日着られる服が欲しい

毎日 食べられるようになりたい

雨風をしのげる 追い出されない住まいが欲しい

あたりまえの欲求ですよね

うちには、戦争中と戦後、そういう体験をしたバアちゃんがいます

 

では、そこを抜けたとき 、次に目指すものは何でしょうか

もっともっと服が欲しい

もっともっと いいものが食べたい

もっともっと立派な家に住みたい

常に常にきりがありません

 

幸せをはかる様々な調査がありますが、衣食住がみたされるある一定のところまでは、持っているお金と幸せ度が比例しますが、

ある地点を超えると、いくらお金が増えても、幸せ度は上がっていかなくなるそうです

 

それはそうだと思いませんか?

どんなに沢山の高級な衣服をもっても

どんなに贅沢な食事をくりかえしても

どんなに豪華な家に住もうとも

なんだかむなしい、満たされない

 

その原因は、なんだと思いますか?

 

もしも、ともに生きる人たちと、うまくいっていなければ 、いい関係を築けていないのならば、

どんなに裕福でも、幸せとは感じられないのかもしれません

 

反対にいえば、最低限の衣食住を満たすことができて、ともに生きる人たちと良い関係をつくっていけるならば、

それは日々、幸せを感じることができる

毎日なのかもしれません

 

お金にはとても苦労したバアちゃんですが、若い時の 経験を嫁に話すとき、

その時々が バアちゃんにとっては、楽しかったのだなあと伝わってきます

好きなひととした苦労は、ある意味 懐かしく愛しい思い出なのでしょう

 

バアちゃんは、その後 努力して努力して、それなりの生活ができるようになったので、貧乏とそれなりと両方の経験があります

 

それなりの時の方が幸せなのか

貧乏だと不幸なのか

これは、そんなに単純な問題ではなさそうですよ

 

夫婦の関係がうまくいっているときと

夫婦の時間が、なかなかとれないとき

こういうことが、幸せな気持ちに影響しているようです

 

子どもとの親子関係もまさに そうですね

子供との関係がうまくいっているときと

子供とのコミュニケーションが取れないとき

 

幸せな気持ちというのは、大切なひととの関係によってつくられるのだなあと、つくづく思います

 

もちろん、大切なひととは、家族だけとは限らないですよ

それぞれが、一番 大事に思っているひとです

ワンちゃんも、猫ちゃんもそうですよね

自分にとって大切な大切なひとたちが、やはり 自分を大切に感じてくれているということが、

ひとを満たされた幸せな気持ちにしてくれるのではないでしょうか

 

貧乏でも幸せを感じるし

裕福でも幸せを感じる

 

ひとの悩みの大部分は、人間関係によっておこるという話を以前しましたが

大切なひととの関係がうまくいっているとき、ひとの悩みは 少ないのではないでしょうか

 

まあ どうにかなるだろうと、笑いあえる関係を 、大切なひとと少しずつ築いていくのが、

幸せを感じる一番の方法だと今は思います

 

世界の成功者と言われる人たちの死ぬ前の言葉は

 

もっと家族と時間を過ごせばよかった

もっと仕事ではないことをすればよかった

が多いのだそうですよ

 

世界の成功者にはなれなくても、

家族といい時間をすごし、仕事以外の自分の時間を楽しむことは、私たちにもできますよね

 

ないものねだりは、隣の芝生ですよね

 

ちょっとしたことで幸せな気持ちを感じられるひとに、少しずつ なっていきたいです