あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

毎日「幸せな気持ち」になれる「音楽回想法」や「服の手放し」や「脳科学」のヒントです 認知症、障害、うつ、癌、介護といろいろあっても大丈夫♪ 自分自身と家族のために書いていますが、一緒に楽しんでいただけたら、とてもとても嬉しいです

ポール・マッカートニーとは (コンサート・フォー・ジョージの公式より)

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ポール・マッカートニー

言わずと知れたポール・マッカートニーなので、

詳しいことを知りたい方は、

まずはコチラのコンサート・フォー・ジョージ公式のポール・マッカートニー紹介部分をお読みくださいね

www.culture-ville.jp

それでは、

上記の記事を参考に、昔々からのポールのことを思い出していこうと思います

ポール・マッカートニーといえば

リヴァプールの不良少年だったジョンとの出会い

そして、クオリーメンへの参加

バスで出会った学年下のギターがめちゃ上手い少年ジョージも加わりビートルズとなり

ドイツのハンブルクでの修行期間へと

すでにプロだった年長のリンゴの参加が決まり、

いわゆる4人組のビートルズとなりました

こういう歴史を小学生の私は「ビートルズの軌跡」という単行本をお年玉で買って読みまくりました

このブログにも何度も出てくる通り、

私は出生児に難産で仮死で生まれた結果「短期の記憶」に障がいがあります

つまり、

覚えられないのです

年号、数字、名前、

普通の人なら一度読めば覚えてしまうことも10回も読んでようやく、という感じでしょうか

ですから、

今、私が記憶している全てのビートルズの事柄は、

いったい何度、読み続けて覚えたのだ?!

という年代物の記憶です

好きこそものの上手なれ

何度も何度も同じものを読み、

何度も何度も同じことを語り、

申し訳ありませんが、

それが私の人生でした

ポールの話に戻りますね

「イエスタデイ」と「レット・イット・ビー」

ビートルズというものに夢中になる以前に、ビートルズのいくつかの曲は譜面なしでも弾ける曲となっていました

エレクトーンです

当時の昭和の子供でピアノかエレクトーンを習っている子は少なくありませんでした

お習字、そろばんと並ぶ、お稽古ごとのひとつだったのかと思います

ビートルズの名曲が、次から次へと楽譜を通して現れました

ほかの曲とは全く異なる、あまりにもカッコいい、なんだこりゃーーの世界がビートルズでした

www.aiaoko.com

レットイットビーのオルガン部分

つまり、ビリー・プレストン演奏部分など、恍惚として弾く小学生でしたよ

1970年ビートルズ解散後のポール・マッカートニー

私の場合は、ビートルズ解散直後にビートルズのファンになったもので、

4人それぞれの「ソロの曲」がラジオでいつもかけられていました

ポールでいえばウイングスの

そうそう、そうでしたよね

特別なひとジョン・レノンの死

あまりにも突然でした

ことにポールにとって、ジョンという人は、友人以上、親友以上、家族に近いような、そんな失うことなどできない存在だったのではないでしょうか

ビートルズ解散前にも、ジョンにとってのそういう存在が、自分ではなくヨーコとなってしまった哀しみを体験し、

ビートルズ解散後には、

それは孤独な辛い時期を通ったポール

そして、それを支えた妻リンダと子ども達

ポールには、音楽的な天才としての顔と、

実に普通な気のいい常識人の顔と、

そして深い孤独も感じます

コンサート・フォー・ジョージでのポールの姿や、視線にも、

なんだか母親的に、抱きしめてあげたくなるような「孤独」を私自身は感じてしまいます

「過ぎ去りし日々」ジョージ・ハリスンに参加

コチラでしたよね

youtu.be

映像を見ると泣けてきますね

英語の歌詞付きでどうぞ

George Harrison - All Those Years Ago (With lyrics) - YouTube

音楽を通してのただのファンですら、ジョンの死にあれほどのショックを受けました

それが少年時代からの友、ポール、ジョージ、リンゴだったならば、

その哀しみと苦しみは、いかほどのものだったのだろうと、

この楽しげな曲の奥底にあるものを感じます

和訳付きはコチラですね

感謝です

All Those Years Ago / 過ぎ去りし日々 - YouTube

こういう曲を作らずにはいられなかったジョージの気持ち、

そして集まったポールとリンゴの気持ち

なんとも言えないです

1999年ロックの殿堂入り

1988年のビートルズのロックの殿堂入りのとき、

ひとり不参加を決め込んだポール

もちろん、理由がありましたよね

www.aiaoko.com

そして、ポール・マッカートニー個人としてロックの殿堂入りが決まったのは1999年

あろうことか、最愛の妻リンダを失って引きこもっている時期でした

コチラでしたよね

www.aiaoko.com

とても嬉しいはずの席なのに、まだまだ心が傷ついたままのポールの姿がそこにありました

見るのがつらいほどです

ロックの世界で最も成功したひとポール・マッカートニー

コチラでしたね

www.aiaoko.com

ロックの世界でダントツの大金持ちになったポール

でも、

ポールは心から音楽が好きなだけで、

また音楽的な才能に恵まれた天才なだけなのでしょう

そして、ポールの周囲にはいつもそんなポールを支える家族がいますよね

ケネディセンター名誉賞

ポールはお金ばかりでなく、名誉も獲得しました

アメリカにおいては、栄えあるケネディセンターオーナーズの受賞です

www.aiaoko.com

大スターたちのさらなるスターとして、お祝いされるポール

これからも、ますます元気で!と心から願っています

www.aiaoko.com

ありがとうございます

ビートルズが好きです

ジョンも

ポールも

ジョージも

リンゴも大好きです

解散後のそれぞれの人生

音楽的なものも

家族との生活も

友人たちとの交流や

様々な活動も

すべてを通して、

私たちファンも長い間、楽しませてもらってきました

今は、

ジョージ・ハリスン生誕80周年記念ということで、

日本でも劇場(映画館)でドキュメンタリー、追悼映画である「コンサート・フォー・ジョージ」が公開中です

www.aiaoko.com

本当にいい映画です

いかにジョージ・ハリスンという人が、周りの家族、友人たちから愛されていたのかが

じんわりと伝わってきます

ジョージの人徳ですよね

そんなステージの上で、ふと孤独を滲ませるポールの姿

切ないです

ホームではなく

アウェイの心細さのような、そんな居心地の悪さを、ふと感じさせます

ジョージには、もっともっと長生きをして、

もっとポールとも、その後のいい時間を共有してほしかったと思います

今、リンゴとポールとが、

いろいろあったけれどビートルズは兄弟のようなものだと語るように、

きっと、ジョージも、

ジョンやポールやリンゴとの、思春期という特別な時期を含む青年期を「特別なもの」として慈しんだであろうと想像してしまいます

もちろん、

ビートルズというものに未練などなかったジョージ

心から好きな人たちと、心豊かに暮らしていたジョージ

それは変わらないジョージの姿だと思います

でも、そのあたたかい仲間たちの中には、もっと笑顔の、もっと居心地よくくつろぐポールの姿もあるのが見えるような気がします

時は流れて、

ひとは変わりますよね

人生の時間は有限

大切なひとを、今できるときに、もっと大切にしたいと

心あたたまる今回の「コンサート・フォー・ジョージ」の劇場公開で

強く思いました

大好きだよ!という気持ちは、

大好きだよ!と声に出して伝えたい

それは親にであれ

兄弟姉妹にであれ

配偶者、パートナーにであれ

子どもにであれ

友人にであれ

ご近所の方や

お世話になっている方々にであれ

おなじですよね

大好きだよ、ありがとね

そういう素直な気持ちを、

生きているうちに、

伝えられるうちに、

ちゃんと伝えるって

とても大切なことだと思います

 

ポールが愛する家族たちと

愛する仲間たちに囲まれて、

これからも幸せでありますように

 

みなさまも、

今日もいい一日をお過ごしくださいね