1994年は、ジョン・レノン、エルトン・ジョン、アニマルズが「ロックの殿堂入り」
1994年の「ロックの殿堂入り」の過去記事から↓
将来の自分のためにも、できるだけ音を貼っておきたいです↓
エルトン・ジョンの「ロックの殿堂入り」と映画「トミー(ザ・フー)」
1年前の記事↑に書いたザ・フーのミュージカル映画「トミー」のなかのド派手なエルトン・ジョン、ピンボールのシーンのエルトン・ジョン です
Elton John - Pinball Wizard - 1975 (Audio HQ) - YouTube
Elton John - Pinball Wizard - 1975
もともとの、ザ・フーのバージョンはコチラです
https://www.aiaoko.com/entry/simon%26who
エルトン・ジョンのまとめです
ジョン(レノン)のロックの殿堂入り
ロックの殿堂で、ポール(マッカートニー)がスピーチしたジョンとの出会いと歴史
ヨーコ(オノ)のスピーチと、客席のリンダ(マッカートニー)の涙
2人とも、あまりにも早い死でした
アニマルズ「朝日のあたる家」1964年
The Animals - House of the Rising Sun (1964) HQ/Widescreen ♫ 58 YEARS AGO - YouTube
「朝日のあたる家」も母が私に習わせてくれたオルガンとエレクトーンで出会った曲のひとつです
1964年の曲だったんですね
幼い頃に、海外の曲を聴いたり弾けたりしたのは、母のおかげだったのだと
やっと気がつきました
「私版~2021年ロックの殿堂入り受賞者一覧」
ありがとうございます
我が家の認知症のばあちゃん
相当な変わり者だったのだと思います
今から30年も前から、
まだ60代のうちから、
「延命治療は全てお断り」と、尊厳死協会の会費を払い、カードを作る人など、そう多くはないと思います
きっかけは、
病院になどまったく縁のなかった母(ばあちゃん)が、初めて長期入院し、「絶対安静」を経験して、それでも治らないという絶望感を味わったことでした
頭をベッドに固定された生活は、トイレの問題も人間の尊厳を傷つけるような日々でした
母は「病室の窓から飛び降りたい」と言うようになり、
どのみち治らないのであれば、と、病院を家族の自己責任で脱走しました
ばあちゃんは、そこから、30年も生きることができました
私が癌になった時も
障がいもある子どもの育児の時も
ひとりで、アメリカへ、ヨーロッパへ、助けに来てくれました
運命は、わからないものですね
ばあちゃんには
いろいろなことを教えてもらいました
母のあれこれを忘れたくありません
なのに私は、短期記憶に問題があって、覚えておくことができないのです
だから、毎日、書いて書いて書くしかありません
子供の時から、母が私の脳の代わりのような感じでした
記憶係をしてくれていました
もう、代わりに覚えてくれていたひとはいなくなってしまいました
楽しく皆さんのブログを読ませていただいてきましたが
しばらくお休みいたします
落ちつきましたら
また、読みにうかがいたいと思います
今日も、いい1日をお過ごしくださいね